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コラム

ことばで交わり、疾患を治癒していくために
詩篇とともに、メジャーから離れてのちょっとした行動

ラジオでの試み

 私は医師ではない。精神疾患者を前にしても、治療に向けた施しはできない。ただ、就労支援に向けた取り組み、社会復帰を目指す対話を通じて、確実に言えることは、「ことば」は薬ともなる効力があると、実感していること。

常日頃から私が関わる就労移行支援事業所の利用者を考え、最善な方法を考え抜こうとする姿勢や思いが、発せられる言葉にあらわれ、時には治癒に近い効果を及ぼすこともある。そんな「ことば」の可能性を信じて、10月から新たな試みを始めた。それは、ラジオ、である。

ラジオはAM,FM,短波など今も日夜情報を発し続けているメディアであり、言葉の伝達を音のみで伝える古風なツールだが、映像がないからこそ、それぞれの想像力とともに、大きな可能性を持つメディアとして、そしてコミュニティ形成に有効な等身大メディアとして、再度注目されている存在でもある。

歌、心、詩

ここで展開されるラジオ番組は、全国のコミュニティラジオに配信するミュージックバードの「ミッドナイトブルー」(毎週木曜日24時から25時)。男性ボーカルグループ、「サーム」(Psalm)のリーダー濱野崇さんと私が「ふたつの処方箋」と題し、「ケア」を題材に、アーティストとして(濱野さん)、支援者として(引地)、それぞれの見解を示しつつ、精神疾患者の支援の現場の視点を踏まえて、話を展開する。全国約100局のコミュニティFMで聴けるのと同時に、サイマルラジオでインターネットでも聴ける。

 ラジオで伝えるポイントは、その場にいる人に語りかけること、だとラジオ局のベテランに聞いたが、テレビのキャスターとコメンテーターとの関係も同様で、視聴者に向けて語り掛けるよりも、その場にいる人に説明するほうが、聞きやすくなるのと同じ論理であろう。

 だから、濱野さんとのやりとりは重要なのだが、濱野さんに対する信頼感があるから、その雰囲気が伝わって、伝えたいことが伝えられればと考えている。

求道者として

 この濱野さんがリーダーを務める「サーム」の名前の由来は旧約聖書の「詩篇」。詩編は、ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と言い、讃美歌も意味する。ギリシャ語では「心を動かすもの」という意味になり、これを由来として詩編を英語では「サーム」(Psalm)となる。歌、心、詩-これらのキーワードと私が進める「ケアメディア」のエンタテイメント分野の派生系として合致し、濱野さんと私は求道者として、ともに考え、語り、それを、ラジオを通じて発信していく同志となった。

このグループ「サーム」は早稲田大出身のゴスペルグループ、ゴスペラーズの後輩4人組で、「最初のPを読まない英語の名称を付けるなんて、売れるつもりあるの?」(濱野さん)などと周囲に言われたと笑うが、メジャーデビューを果たし、東京都国分寺市で自らが経営するライブハウスを拠点としながら、全国のツアーも観客を確実に動員する人気を得ている。言葉を大切にするスタイルで、その思いを共有したことからラジオの実現となった。

その詩編の最初の句を引用する。

 「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」。

キリスト教に限らず、正しい者のあるべき姿として、このメッセージは普遍的で、これが仏教の教えとしても有効かもしれない。勿論「主のおきて」部分の解釈は宗教によって様々ではあるが、正しくあろうとする私たちは言葉を求めている。正しい言葉を求めている。

たっぷり「愛」

 「ケアメディア」という言葉とともに情報誌を発刊し、その概念化を進めている私としては、何らかのソフトコンテンツで、その形を伝えなければいけないと思っていた矢先に、彼らの音楽と出会った。包み込むような優しさと、ゆったりとした「ゆるし」への誘い、等身大で表現できるアーティストはあまりいない(あくまで私基準)。

 濱野さんがキリスト教会の牧師の息子であり、「愛」をたっぷりと受けて育ったからだという説明で、その雰囲気が説き明かされた。ただ、その牧師の父親は「高校の頃、太いボンタンはいて行くと、目立ってこい、ってほめられましたが、玄関で靴が揃ってないと・・・」(濱野さん)。こっぴどく叱る個性派で、たっぷり「愛された」(同)という。その父親は「教会のドアはいつも開けておけ」と言って、誰でも、いつでも救いを求められる場所であることを信条にしているという。

メジャーではなく

 私は常日頃、この社会の「開かれたもの」の中に救いがあると考えているが、私の発信するものも「開かれた」状態にしたいと思いながら、日々考え、少しずつ前進しているつもりである。情報誌「ケアメディア」にしても、ラジオにしても、メジャーではないメディアでの「ケアメディア」展開は、今のところ目の見える範囲なので安心したメディアでいられそうだ。何より、詩編という言葉が結んだ濱野さんとの縁は、お互い言葉を大切にしたいという思いを大切にしていきたい。

濱野さんとの語りには、どんな可能性があるのだろうか。メジャーではないところに、何かワクワクする感覚を楽しんでいる。先日、とあるテレビ局の方から「メジャーの方がいいんじゃない」などと話かけられたが「いやいや、今の方が、可能性があって面白いです」と応じたら、先方も「そうだろうね」と笑っていた。

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