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コラム

高福祉の基底にある「コミュニケーション」
フィンランドで学ぶこれからの私たち

静かな街は優しい社会

 フィンランドの首都ヘルシンキは静かな街である。中心部でも市電が行きかう音が石畳の街路を伝ってゴトゴトと地響きをたてるが、余計なアナウンスはない。駅でも百貨店でも不親切なくらいの静けさである。加えて11月にもなると午後3時には陽が沈むし、凍てつく風は素肌に容赦ない。夕刻の寒さと静けさの中で、東北出身の私にはそれは懐かしい風景のように思われた。

「社会国家」「福祉国家」として世界的に認知されている国家の様相である「高福祉」と「高い教育レベル」は、この静けさが織りなす社会環境におけるコミュニケーションの質が確保されていることが条件になっているのではないか―。そんなことを静かに気付かされている。

精神疾患者や障がい者との共存を目指す立場として、フィンランドの取り組みは参考になる点が多い。日本で映画「かもめ食堂」がヘルシンキを舞台にし、フィンランド発祥のトーベ・ヤンソン著「ムーミン」が人気を得ていたりするのは、「忙しい社会との緩衝材」として、「優しい」社会文化へのイメージが好まれている証拠であろう。

今回、伝えたいのは高い税金と福祉制度という政策や制度の話ではなく、高福祉の実現にあるこれら「優しい」社会には、質の良いコミュニケーションが成立しているから、ということである。

対話型コミュニケーション

 フィンランドは日本よりやや小さい面積に北海道と同じ規模の人口の約530万人が住む。技術立国でもあり、国際競争力では常に上位に位置する。北欧の中で旧ソ連やロシアに隣接していたことから、政治的・経済的に困難な時代も一度ではないが、その度にフィンランドは復活してきた。

現在、福祉が手厚い「福祉国家」として有名だが、かつて29歳で教育大臣になったオッリペッカ・ヘイノネン氏は、「福祉国家」の基礎とする考えについてこう述べている。

「他人の価値を知り、他人を傷つけたり、他人を脅威と見なしたりするような自己中心的な人間にならないようにすること」。

つまり教育と福祉は連関し、「自己中心的」にならず、他者を考えることができる人の育成が福祉国家になる。日本では、いきなり「高福祉」と叫ぶよりも、ここから始めてみるのも、面白くないか、などと私なりに夢想してみる。

ヘルシンキで私が異国人として困っていると、常に流ちょうな英語(同国ではフィンランド語とスウェーデン語が公用語で、英語は外国語)で、助け船を出してくれる。それは道端でも店でも、同じで、誰かが自然に笑顔で近づき、気遣ってくれる。そこに奇をてらう素振りもないから、こちらの心がほっこりと温かくなってくる。私自身、ドイツなど何カ国かでの生活や仕事をした経験から、この街の親切さは群を抜いているように思う。

そのコミュニケーションは、言葉を交わす、だけではなく、相手の気持ちを考えて、交わしているから、信頼感も生みだす。それは「発話型」ではなく「対話型」でもある。フィンランドの教育プログラムは明らかに対話重視の姿勢が貫かれていることも各種報告に示されている。

障がい者が過ごしやすい、との話も、何か不自由な状態で街に出ても、誰かが気遣うし、対話型で交わされるやりとりは「やる」「やられる」の関係を生まないから、ストレスも少ないことの結果なのだろう。だから、高福祉というのは、ハードの整備ではなく、文化の形成なのだということを思い知らされている。

女性がいるから

 この「高福祉」は、良質なコミュニケーション、そして女性が普通に働いていることは連関しているのだろう。男女比が6対4であるという現状は、結果として男女という「絶対的に違う立場」との交わりが日常化し、片方が片方への意見の押し付けをすることなく、対話によってお互いの立場を尊重することから始まることにつながっているはず。女性の社会進出が課題になる国から見ると、「女性がいるから」でコミュニケーションが変わり、さらにそのお互いの立場が平等であることで、コミュニケーションが良質化していくのだろうと思える。

違う立場とのコミュニケーションを抵抗なく遂行できる、論理構成とそれに伴う行動を想像できる。そこには、どんな人も平等であるという感覚も必要で、結局男女の差をコミュニケーション文化で乗り越えるのが私たちの知恵である。北欧の高福祉を絶賛する雰囲気がある中で、その出発点は違いを理解する「良好なコミュニケーション」であるといえる。

オープンダイアローグの地

高福祉とコミュニケーションについて考えて見えてくるのは、精神疾患の治癒方法のひとつであるフィンランド発祥の「オープンダイアローグ」が、この地だから展開しているのだという事実である。フィンランド・ユバスキュラ大教授のヤッコ・セイックラさんらが始めたこの手法は、昨年、精神科医の斉藤環さんが日本に紹介する本を出版したことにより日本でも注目が集まっている。

注目の理由は、「対話で急性精神病が改善・治癒する」「薬や入院を極力使わない、反精神医学である」「診断や治療方針に固執しない」「個人精神療法ではなく治療チームが優先である」「治療者全員がセラピストとして平等」など、いくつかのポイントがあり、それらすべてが日本では議論になるほどのインパクトを持つ。

 日本で注目を集めつつも、やはりここでもコミュニケーション文化の違いを考慮しなければいけないのだろう。この手法は高度なコミュニケーション文化を背景にして参加するそれぞれの人が持つコミュニケーション力の素地があって成り立つ。

発祥の地がフィンランドの地方都市ゆえに薬が調達しにくいハンディを克服するため、薬に頼らず治療しようという意思がこの手法に結び付いたとされる。

そう、対話で彼らは切り開いていったのだ。さて、私たちも、とコミュニケーション文化を作っていくために、何をやっていけばいいのだろう。引き続き研究していきたい。

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コラムニスト

    報告 ID:NsDl7Betsz

    http://www.sankei.com/west/news/160915/wst1609150007-n1.html
    「エウラヨキでも当初、住民の間には反発もあったが、誰もがニュートラルな立場で『自分たちのこと』として向き合わざるを得なくなった」とルカンデルは振り返る。町議会は議論の末、この年末に受け入れ拒否の項目を削除していた。

    引用ここまで
    日本もコミュニケーション力を高めなければなりませんね

      報告 ID:NsDl7Betsz

      http://www.sankei.com/west/news/161014/wst1610140004-n1.html
      同国にも、最終処分場の建設はもとより、原発自体に否定的な住民はいる。ただ、そうした意識の人からも「モラルとして受け入れざるを得ない」という言葉を少なからず聞いた。

      引用ここまで
      日本も対話を頑張ってもらいたいものですね

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