精神科ポータルサイト サイキュレ - Psychiatry Curation

精神科医療関係者様の会員登録をお待ちしております。  新規会員登録  ログイン

コラム

相模原事件の「半年」の無意味さ
いま、ここからしか未来は描けない

「区切り」好きのメディア

 「相模原市緑区の障害者施設、津久井やまゆり園で19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件から、26日で半年を迎えた」という記事は必須である、とメディアは考えている。私もメディア組織の記者だった時代、大きな事件の時には、発生から1週間、1ヶ月、半年、1年、の区切りに何らかの記事を書くのを義務付けられ、新聞紙面の予定には発生からの「区切り」が記載されていたから、それはメディアの習性と言ってもよいかもしれない。

 しかし、精神疾患者という当事者とともに仕事をする身を置いてからは、その区切りが積極的な意味を持たず、単なるメディアの自己満足であることに気づいた。事件から遠く離れた人たちに対する「啓蒙や警鐘のため」というのが「区切り」の大義名分かもしれないが、それは当事者のためになっているのだろうか。

 ニュースの原則は真実というファクトであることを考えれば、区切りはセレモニーに過ぎない。東日本大震災の際、被災地で支援活動をしていた私は、メディアが報じる区切りとは関係なく、現実として被災者は生活を取り戻すために、悪戦苦闘を続ける日々の連続であり、そこに数値化された区切りはなかった。

相模原事件でも、事件の犠牲者はもちろん、関係者や当事者など今も心を痛めている人の存在が事実の中心であり、その中心は痛んだまま、出口は見えない。

出口を見えないことを「半年経っても」という条件を付ける必要はない。今、出口が見えないことを、どのように解釈し、そして解決する術を考えて行くことが私たち社会の挑戦であり、メディアはそこに自覚的であるべきだと思う。

熟慮なく大きな報道に

 メディアの「区切り」好きは習性だとして、相模原事件においては、精神疾患者や知的障がい者へのメディア特有の苦手意識があると考えられる。それは長年、メディア報道が精神疾患者の犯罪について、発信者が深く考えることなしに、報じることを自粛することで事を済ましてきたことにより、取扱いに関する議論が進まなかったことが大きい。

メディアは軽犯罪の被疑者が精神疾患の病歴や入院歴、もしくは精神障害者手帳を保持している場合は、報道しない慣例があるが、大事件の場合は、精神疾患者の犯行でも、結果的に大きく情報が展開されることになる。

この突然の対応において、メディアの判断は熟慮されていないまま決定されるから、大きな間違いを生む可能性が高くなる。精神疾患者の報道に関して、大手新聞社各社の初期の報道が「精神障害による犯行」というイメージを広げ、結果的に大誤報となったケースが2001年6月、大阪教育大付属池田小学校でおきた児童殺傷事件である。

児童殺傷事件を考える

 この事件で逮捕された男性は、統合失調症(当時の呼称は精神分裂病)と診断され、事件前に何度か精神科病院に入院しており、事件の約2年前には勤務先でお茶に薬剤を入れた傷害事件で逮捕。しかし簡易鑑定をもとに起訴猶予になり、措置入院は39日間で解除されていた。警察の調べに「犯行直前に精神安定剤を大量に服用した」と供述した。

 メディア各社は初報の段階でこの疾患を「事実」として伝えたが、取材を進めると、過去の事件では刑罰を免れるために精神病を装っていた疑いが浮上。精神安定剤の服用も虚言であることが判明した。

 結局裁判で、証人出廷したすべての精神科医が、男性が精神病であることも、過去に精神病であったことも否定。過去に診断した医師たちは「以前の医師が付けていた病名に合わせた」「保険請求のための病名だった」などと証言した。結局、「精神病ではなく、人格障害であり、身勝手な犯行」という一審判決が確定し、死刑が執行された。

 しかし私たち一般のイメージはどうであろう。未だに犯人は「精神疾患者だった」を事実として受け止めている人がほとんどだと思われる。

 それは声高にメディアが、誤報ではないにせよ、熟慮した報道が出来なかった結果としての「間違い」を是正してこなかったことも大きな原因である。

「精神障がいのせい」

 このケースで読売新聞大阪本社科学部の原昌平記者が、事件の経過から学ぶべきものとして「精神科医の診断も、簡易鑑定に頼った検察の判断も、容疑者の供述も、そのまま信用してはいけない―ということだろう」 とまとめ、さらに「メディア側に『横並びの競争意識』が強く、『心の闇』をあわてて究明しようとすること、動機のわかりにくい事件を精神障害のせいにしがちなことが、『結果的誤報』を誘った面もある」 と指摘した。

 精神疾患に対する偏見が残り、初報のインパクトが社会的な衝撃として伝播しやすい世の中において、「精神疾患」による犯行はあまりにも代償が大きいミスリードだった。原記者が指摘するように、いまだに日本の報道では「精神障がいのせい」にする傾向があるならば、それは事実並びファクトに焦点を当てるべき報道という職業的使命から離れた幼稚な所業である。特に犯罪報道では、横並び意識はなおも残っている傾向があり、あらたな誤報が発せられる素地は残ったままである。

関わらなければ治らない

 東京大学の研究グループが1985 年1 月1 日から2013 年12 月31 日に朝日新聞、産経新聞、毎日新聞、読売新聞で掲載された新聞記事2,200 万件から、「精神分裂病」「統合失調症」「うつ病」「糖尿病」を見出しもしくは本文に含む5 万件を、テキストマイニング手法を用いて検討した結果、2002年に「精神分裂病」から「統合失調症」に病名が変更された後は、「精神分裂病を使用する記事はほとんどなく、統合失調症の偏見・差別の減少に一定の貢献をしていると示唆」されたが、病名変更後も「統合失調症」を含む記事は、犯罪に関連づけされる傾向が続いていたことを指摘している。

 犯罪報道は特に各社の競争の中でスピード感が求められ、衆目が集まる中での情報提供に強いストレスがかけられているのかもしれない。しかし精神疾患に関する報道については、精神疾患についての見識を深め、事実に即した報道が求められ続けている。

 それを正確に行うには、正しい精神疾患者との関わり合いを体得するしかない。メディアはもっと関わり合うことでしか、精神疾患に関する定まらない報道は治ることはない。相模原事件は関わり合うよい機会である。「区切り」ではなく、事実に向き合い、もっと自覚的に報道をすべきだと思う。

(了)

  • 6066人見ました
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページの先頭へ

コラムニスト

    ページの先頭へ

    facebookコメント

    ページの先頭へ

    関連コラム

    ページの先頭へ


    Top