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コラム

疾患者を取り巻く思想環境は定まらない
トランプ現象から見る2つの潮流と私たち

「税金投入」への違和感

 「これは税金を使うわけですからね」。

 強い口調で自治体の障害福祉課で諭されることがある。就労移行支援の手続きに同行する際に、当事者の精神疾患者に向かって、その言葉は投げかけられる。当事者は委縮し、そんな言葉に落ち込む当事者を何人も見てきたから、疾患者にとって生きることに格闘している中で、自治体職員のそんなひとことは大きなダメージを与えてしまう。

 そこで私もいくつかの言葉で対抗しようと思うのだが、ぐっとこらえる。その税金を使って私は動き、高いパフォーマンスで当事者を社会や会社に確実に位置づけ、タックスペイヤーにすることに自信を持っているから、その税金は「生かされる」と考えるから、数か月後に「結果」で示そうと思うからである。

 だから、当事者には「大丈夫、一緒にやれば必ずうまくやれる」と激励する。自治体の職員は手続をしてくれるが、一緒に泥まみれになってはくれない。それは役割分担だから、当然のことと思うことにしている。自治体に高い倫理観を求めても、組織である以上は行動が硬直化してしまうのは仕方がないことなのだろう。

そう考えると、福祉を取り巻く思想が、自治体と現場とでは随分と違うのだと思い知らされる。それは、ドイツ観念論と米国流のプラグマティズムの違い、米国のトランプ大統領を受け入れる人と受け入れない人のような分化された2つの思想潮流である。 

ドイツ観念論でいくのか

 トランプ大統領は一般な価値観からずれている。ずれているからこそトランプ氏であり、既得権者を批判した源泉でもあるのだから、米国民は自覚した上で彼を選んだのかもしれないが、そこにいきなりドイツ観念論、カントの厳格主義や平和思想を持ち出して比較するのは無謀かもしれない。しかし私たちは市民社会を築く上でよりよい思想を考えて、悩み、行動してきた歴史がある。その長い議論の中で磨かれたいくつかの思想は、私たち市民が守るべき大事なポイントを示しており、「助け合い」「支え合い」を基本思想とする福祉の視点から考えれば、やはりドイツ観念論の哲学者たちであるカントやフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらは今もなお、助け合い思想を基礎とする市民社会の形成について重要な示唆を与えてくれる。

カントの厳格主義で言えば、「難民は危険だから入国させるべきではない」との考えを、難民の置かれた立場に同情しながら自分の生活が脅かされることを承知の上で難民を助けようとするのが、厳格主義であり、この思想をベースにカントは平和論を打ち立てた。「米国第一」の思想はそれとは相反する格好だ。ドイツのメルケル首相は、欧州の中心存在として、自覚的に全体の状況と自国の痛みを認識しつつ、カントの平和思想に近づこうとの意志が感じられる。それはナチス・ドイツの苦い経験があるにせよ、タフな取組であるが、難民にとっては希望でもあるのだろう。

 ヘーゲルの弁証法は、歴史の過程にいる私たちにとって、国家のあり方や理想の市民社会に向けて、私たちはまだまだ完成を知らないことを、トランプ現象を通じて思い知らさせてくれる。あるものが成り立っている、という前提である「定立」(テーゼ)があり、その内部の矛盾が明らかになり、自己自身に対立するようになる「反定立」(アンチテーゼ)を経て、「定立」と「反定立」を乗り越えてより高次元のステージに到達する「総合」(ジンテーゼ)という真理に至るという弁証法にあてはまると、欧州統合も米国の二大政党制や大統領制度もすべて真理には到達せずに、弁証法として真理を模索しているのに過ぎないのである。

そう考えれば、トランプ大統領という存在をもはやアンチテーゼでとらえるのではなく、テーゼ化して、アンチテーゼを市民社会で考えて行き、あらたな総合という真理に向けて考えて行くのがわれわれの役割であろう。

プラグマティズムなのか

 同時に足元の米国の思想哲学から考えてみたい。それは今のトランプ大統領そのものかもしれない「プラグマティズム」である。20世紀の米国で盛んとなったこの思想はギリシャ語で「実行」「実験」を意味する「プラーグマ」を語源としている通り、実用的なものを真理とする考えである。簡単に言えば、ドイツの観念哲学に対して、実際に起こっていることに着目して行動する立場をとり、イギリスの経験論がその中間に位置することから、ドイツとの対立構造が浮かび上がっている今日のトランプの米国にはぴったりの位置づけかもしれない。

 ドイツのメルケル首相が唱える価値観に一線を画する彼は根っからのリアリストでプラグマティズムを身のまとった哲学者だと考えると現象には納得がいく。

そうはいいながらも、単純にトランプ大統領に当てはめるほどプラグマティズムは単純ではなく、深い学問である。チャールズ・パースを創始者とし、デューイやジェイムズといった後継者が各自の実践を通じ理論化していった。デューイはシカゴ大学教授時代に付属小学校に「実験学校」をつくり、「問題解決学習」を実践した。子供自ら疑問から解決したいことを考え、実験に取り組むという流れの学びである。つまり能動的に問題に取り組むプロセスを学びとする考えで、その問題解決に向けた柔軟な思考が社会を成長させるとの考えを説いた。最近では問題解決プロセスに必要な教育が抜け落ちてしまっている学問も多い。それが、目的に直線的な考えが実利主義であり、経営学の中でも実践的な領域に特化した内容となる。

よりよい福祉のためには

 ジェイムスは、思考の対象が真実か否かは関係なく、生きていくうえで有益かどうかが重要であり、それが真理である、という考えである。宗教観で言えば、信仰は人々に生きる意味を与えたり、心に安寧をもたらすこと自体で有用とし、宗教を肯定するという考えをとった。それは心の問題を取り残す格好になり、宗教者にとっては違和感のある考えではあるが、現実問題としてそれがひとつの宗教のあり方といわれる向きもあるだろう。そして、これが今、世界や米国を支配している空気かもしれない。産業の停滞や移民の増加による米国民の逼迫した気持ちは、教会で説かれる救いとともに、実態としての救いが必要であり、それが実利主義と結びついた時、人はそれに頼ろうとする。

トランプを選んだ米国は現在、そういう国ということであろう。その国のリーダーと楽しくゴルフなどで「遊ぶ」ことで仲良くできる日本のリーダーもまた、同じ思想なのかもしれない。

そして、それでいいのだろうか、という問題である。

どうも米国と仲良くすることは、プラグマティズムという思想も共有範囲が広がりそうで、そこには違和感を覚える。そうなると、生産する者や稼げる者の価値は認められるが、不法移民のように、非生産者への眼差しは厳しくなる可能性があるのだ。

冒頭に書いたように、税金が投入されることを、自治体職員やわれわれがどう受け止め、社会を形成していくかの思想の基底について、私たちは「自由」が保障さえているから、何にも縛られることはない。

しかし、「自由」とは制限の中ではじめて発揮する概念だと考えると、その自由のために私たちは生きる規範のようなものを確認しなければいけないのだと思う。規範の中に福祉の位置づけがなされれば、それがよりよい福祉環境を整える基盤となり、当事者が生きやすい世の中になるのだと信じている。

(了)

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コラムニスト

    報告 ID:8nTYksmDBC

    プラグマティズムを修めているソーシャルワーカーです。
    確かにアメリカでプラグマティズムは産まれましたが、日本には日本のプラグマティズムがあるはずなのでアメリカと同じ結果になるとは考えにくいです。それとプラグマティズムから影響を受けた心理学及びソーシャルワーク学は、主体をクライエントにしています。
    プラグマティズムと自由主義が融合した結果ではないでしょうか。
    プラグマティズムがパターナリズムになることも考えられないし福祉社会ではあり得ない話です。
    人は生まれながら自由と権利と責任を持っていますが、制限があるから自由があるというのは飛躍していると考えます。

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