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コラム

「マイノリティ憑依」を超えていこう
寄り添えるか、は永遠の課題

投げつけられた写真

 2012年、高い空の下でススキが風に揺れていた季節。殺風景な空間で私はある知的障がい児の母親と対面していた。母親は体を硬直させ、私は正座をし、少し背中を丸めた小さな塊となっていた。母親は私の書いた記事に異議を申し立てていた。この母親が問題にしたのは、知的障がい児である兄を持つ小学生の「次男」と、自分の息子との交流を描写した部分だ。以下の「同じ学年にいる障害児」がこの母親の息子さんである。

知らない間に次男は同じ学年にいる障害児の世話役をやっていた。クラスでその障害児が失敗したことでクラス全員に迷惑がかかることがあったという。ある生徒が次男を「お前が甘やかすからあいつが失敗するんだ」となじり、次男はその返答に窮したという。

答えに窮した自分を悔しがる次男は「もっと障害を理解したい。そうすれば、きちんとほかの友達に説明できたのに」と続けた。(引用終わり)

 この記事全体は知的障がい児の家庭崩壊をテーマにしたものだが、私の目の前にいる母親は、引用したこの部分が逆鱗に触れたという。周囲の母親たちから連絡を受け、私は居住する首都圏から7時間ほどかけて、この母親のもとにやってきた。私は、周位の母親にも迷惑をかけたと反省し、「配慮が至らず申し訳ございません」と謝ったが、母親はわなわなとした様子で手を震わせ、お菓子の缶の中にあった写真の束を私に投げつけ、「何が分かるってゆうのよ!」と泣き叫んだ。

わからない、から始まる

 写真は、私の文章に登場した「次男」と目の前にいる母親の息子さんが写っていた。学校での写真や家族ぐるみで観光地に行ったときの写真など、その様子はどれも優しい表情で、二人が友だちであることが伝わってくる。そんな写真が束になってあった。

「この写真を見てどう思いますか?世話役って何ですか?私の息子は世話をされているんですか?」

 怒りに震わせた声は鋭かった。同時に事実として、その写真から想像する二人の小学生の関係性は友だちであった。「世話役」でもないし、迷惑をかけるのが当然の子どもでもない。そこにはただ純粋な友情で結ばれている子供が2人いるだけだ。

母親の問いかけは、私の胸を鋭く深く突き刺した。そして「自分は何も分かっていない」とあらためて気づいた時、私は自然と床に頭をこすり付けるようにして謝っていた。

「ごめんなさい。何も分かっていませんでした」

 このエピソードは福祉に関わる私のガイドラインになっている。そして、この日から当事者意識の「質」について真剣に考え始めたような気がする。

マイノリティ憑依

夜中にバイブレーションで震える私の携帯電話は最近、「助けて」との叫びのように伝わってくるようだ。案の定、眠れずに思い悩んだり、時には私を責める口調もある。「病気にならないと分からないと思います」「結局は仕事で病気の人と関わっているのでしょ」等。

感情の起伏が激しい中で、その言葉が発している気持ちを想像しながら応じているが、根本的には本当の気持ちは、「わからない」。だから、「寄り添う」のだが、メールの対応ではいつも「だから教えてください」と結ばれ続けることを考えている。

これは支援する側の課題である。埼玉県和光市の日本基督教団埼玉和光教会で講演した際、元新聞記者で牧師を目指している神学生が、当事者を「どのように分かってあげるのか」との質問し、キリスト教信者と当事者が多い参加者の中には日頃、支援している人も多く、その質問への共感が多いことに、支援者の悩みは深いと感じた。

私自身、悩んではいる、が、その際答えたのは、「わからない」から「わかろうと求め続けることしかできないのでしょう」ということであった。記者出身の私として頭の中で思い浮かんだのは、マイノリティ憑依へのアンチテーゼである。

想像から創造へ。

馴染の薄い「マイノリティ憑依」という言葉は、ジャーナリストの佐々木俊尚さんの著作の中に出てくる。佐々木さんは、市民団体の活動など、権力に抗するタイプの運動や健常者ではない方々の取組みを取材する者が、自らが取材される側に立つスタイルを指し、それは「憑依」する行為であるとし、当事者意識としては稀薄なものであると指摘している。そして、問いかける。

「<マイノリティ憑依>の気持ちよさに抗して、宙ぶらりんの立ち位置を持続し、そして当事者として痛みを引きうけていくようなことは可能なのだろうか?」(佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、2012年、458頁)

私の記者経験から、マイノリティを憑依させてしまう感覚は理解できる。それが当事者意識に近い記事を描いたように見せられるからだ。しかし支援者として活動すると、マイノリティ憑依は「嘘っぽい」ので毛嫌いしてしまう自分がいる。だから、確実な支援の足場を固めておかなければいけないと思う。

迷いながら、自分が今、出している暫定的な結論は、「相手の状況や心を想像し、未来を創造すること」。想像することでしかない。

それは現実的な想像だ。想像する力が支援する力になると考えている。

(了)

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コラムニスト

    報告 ID:4FBRNwj6FN

    えーと、始めて、コメントします。私は、重度知的障害自閉の長男と、軽度発達障害の次男がいて、今、辞めましたが、高齢者のヘルパーでした。現在はボランテイア音楽療法をしてます。支援を、受け、自分も支援してます。
    書かれておられるように、病気にならないと、私の気持ちは、わからない。仕事で、関わってるだけでしょ、など、言われました。
    けど、支援者でも、オンと、オフが、あり
    自分の健康が、心身共に、保てないなら。支援は、難しいと、考えます。
    私も、個人に、時間や、こちらの状況考えない、相談の暴力受けました。
    私も、その事を、相談し、組織で、緊急体制ある、所にまかせる回答を
    貰いました。
    個人で、対応するには、難しい方おります。

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