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コラム

「患者の立場」は、われわれの立場である
忘れんときや、に宿るヤンキー文化

国立病院の虐待

 「いじめられたくないんやったら黙っててよ」「患者って立場を忘れんときや」。

 独立行政法人国立病院機構宇多野病院(京都市右京区)で、難病による障がいがある患者に看護師が暴言を吐いていたという。言葉も怖いが、関西言葉の凄みもある。さらに看護師は暴言だけではなく、ベッドを蹴ったりする虐待行為を繰り返していたと確認し、調査をした京都市は障害者総合支援法に基づく改善勧告と3カ月間の新規利用者の受け入れ停止の行政処分を行った。

 この行為そのものも忌むべきではあるが、京都市が発表した経緯には、人間特有の社会における集団心理の行動作用が読み取れるから、私のいる事業所も教訓にしなければならない。

それは集団心理の怖さ、仲間意識の誤用、そこに潜む私たちのヤンキー性である。

指導から勧告に

 今回、京都市が調査に乗り出したのは、通報を受けてのことで、昨年9月29日に障害者虐待防止法に基づいて調査し、冒頭の発言のような行為は心理的虐待行為にあたるとして、再発防止を指導した。しかし、約2か月半後の11月9日に別の女性看護師が虐待行為を受けたとされる女性利用者に対し、「何言うたかて知らん顔して寝たふりして」などとさらに暴言を吐いたという。

 これを受けて、市は事業所の監査に乗り出し、「利用者のベッドの足元のボードを蹴る心理的虐待行為」「頻繁にナースコールで呼ぶ利用者に一時的にナースコールを手の届かない場所に置いたりするネグレクト(介護放棄)」が確認された。

市の調査で虐待行為を確認したのは「患者3人に対して看護師3人の計4件」で、看護師は暴言を不適切としながら虐待という認識を示さなかったという。指導後も事業所は配置転換などの再発防止策を取らなかったために、改善勧告とした。

 調査や指導にも動かなかった病院の傲慢さは国立病院ゆえのものなのか、理解に苦しむと同時に、指導後に看護師が女性利用者を叱責するのを見ると、そこには患者と分断された関係性と、看護師側の仲間意識が見られる。

ヤンキー的思考

 事業所で暴れた場合に体を抑えようとする行為は、障がい者のいる事業所では想定されることであり、一時の発作で仕方ないととらえて、私たちは対処する。興奮している状態では、予想以上の力を発揮することがあるから、1人で対応できない時は、複数で冷静に対応することも必要だ。

この仕事は、相手の興奮を鎮めるため、また自身や他者に被害が及ばないように、実力行使をするわけだが、重要なのは、それは必要最小限でなければならないということ。

しかし実力行使には変わらないから、時には、暴れる人以上のアドレナリンを活性化させて対処しようとする人がいる。それを勇気を振り絞るための処世術としてやる人もいれば、常日頃から利用者を低い立場に見ていて、ここぞとばかりに強制力を見せつけようとする人もいる。

先日、精神疾患者の支援事業所の集まりでの研修会で、ある施設から実力行使の事例を話された。それが武勇伝のように語られ、参加者も「仕方ない」という雰囲気でその話が受け入れられてしまうところに、私は違和感を覚えながら、このマインドに落とし穴があるような気がしてならなかった。

今回の暴言「患者の立場、忘れんときや」と通底するのは、「上から目線」であり、さらにゆえば「ヤンキー的」思考である。

正義のヒーローになろう

それが時代の風潮だとは言いたくないが、ヤンキー思考と書いた途端に、頭に思い浮かんでくるのは安倍晋三首相であった。精神科医の斎藤環さんは朝日新聞で「ヤンキーに憧れていたけど、ひ弱でなれなかった、という感じですかね。しかし心性はヤンキー的です。『新しい日本を』『国防軍』と威勢のいい発言を繰り返したり」(2012年)と安倍首相を「ヤンキー」と重ねあわ、その後も評論家が安倍首相の言動から「マイルドヤンキー」などと評している。

ここで「ヤンキー」について厳格な定義付けはしない。ここにあるニュアンスで言えば、「仲間を大事にする」メンタリティが強い反面、攻撃するものに対しては烈火として対抗しようという精神の持ち主とでも言えばよいだろうか。

京都の国立病院で起こったことは、看護師のヤンキーぶりであり、虐待行為の対象者が3人であったこともやはり徒党を組むヤンキー性を示していると言えよう。同時に気になるのは、このヤンキー性は誰でも持ち合せていることである。

仲間を愛し、地元を愛する人とも指摘されるヤンキーのメンタリティを否定するつもりはない。むしろ地域活性化や地域の祭りを盛り上げ、時には地域の困りごとを助ける姿勢には脱帽する活躍を見せるのもヤンキーだ。だから、愛される。愛される存在だから、マンガにもなり、社会にも受け入れられるのだが、集団心理が働き、弱者の存在を踏みにじる行為が連鎖した時は怖い。

 だからこそ、愛されるヤンキーは弱者の味方、正義のヒーローであってほしいと思う。そして、医療や支援の現場では、分断された立場から解放された環境づくりが求められよう。これが正義のヤンキーが正常に働ける場所づくりの第一歩だと思う。

(了)

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