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コラム

間口が狭い「社会」と対峙して
精神疾患者の「復帰」支援の悩み1つ

個が重視の支援現場

 個人のパーソナリティや力量が、売上や実績に直結するのは、個人商店や小規模の飲食業、理容室や接骨院などの接客の現場では当然の話であり、有能な人材の確保は実績向上の大きなポイントである。私がコンサルタントとして大手金融機関の実績向上プロジェクトを担っていた過去の仕事の経験上、大手金融機関の各店舗の実績も、仕組みの上にいかに個人の力を発揮できるかという点が全体の成績に直結することとして実感している。これは「売上」と「環境の形成」「雰囲気の醸成」の2つのフェーズから考察する必要があるが、概して好影響を与える人はこの2つの要求を満たす結果を導いている。そして、それがどの組織でも、「欲しい」と思われる人材となる。

それは売上に支配された組織だけではなく、支援の現場でも同様だと受け止めている。最近、家庭の事情で私のいる就労移行支援事業所を辞める人がおり、その影響の大きさにあらためて、支援の現場でもスタッフ1人による影響の大きさを感じている。売上実績で測られる組織ではないが、その「売上」部分は、「信頼」と置き換えてよいかもしれない。

支援の基本となる「信頼」を得るために、支援者は日々奮闘するわけで、組織の中でチーム力を発揮しようとしているつもりでも、利用者や相談者にはそれぞれの事情があり、支援者とのフィーリングもある。心と心のふれあいの中で、信頼関係を構築し、目標や夢を共有する間柄となるのも信頼関係構築が前提だから、属人的なかかわりとなるのは自然。それが社会との接点として再出発の最良な手段であれば、それも個人依存的な関わりからはじめるのも支援の1つの形だろう。

「別れ」を慎重に

 『ジェネラリスト・ソーシャルワーク』(ルイーズC.ジョンソン/ステファンJ.ヤンカ著、山辺朗子/岩間伸之訳)では、支援者が被支援者とのかかわりを終わりにしなければならない場合、それは「終結」であり、「別離」でもあり、慎重にその「終わり」を迎えなければならないと指摘している。

 支援をした結果、良い状態となり支援が必要でなくなる時がやってくる。または、組織の都合で支援者の交替ということもある。その際には、これまで築き上げてきた信頼関係が崩れることにもなるかもしれないから、慎重な終結の話し合いの中で、「再援助の場合に、妨げとなる怒りや罪悪感を最小限に」し、「ニーズへの理解、問題の認知、未知の資源の認識を深め、ニーズや問題に何をするかの計画を導く」ことで未来を描くことが大切だという。一般論として当然と受け止めていた同書の指摘だが、支援活動を重ね、信用されればされるほど、その「次への出発」という「別れ」への慎重な態度を考えさせられている。

そして、振り返れば、それは「当事者とともにあろう」とする、やや理念的な考えを実践したいという自分の支援行動に大きな要因があることを突き付けられる。

私は精神疾患者や障がい者から見える風景に肉薄しようと思い、対話を繰り返し、より当事者に近い風景を一緒に見て、共感できるものを、2人の信頼関係の基本として支援することに主眼を置いてきた。施設内だけではなく、家庭訪問も積極的に行い、当事者が24時間に見える風景を共有しようと努めてきた結果、そこで見えるのは、就労という形で社会に入ろうとする前に立ちはだかる間口であり、その狭さ、である。狭い間口から、さてどうやって中に入ろうか、という取り組みが、共同作業であり、これが支援の第一歩と考えてきた。

 日本社会全体を見た時に、この間口の外と中を区別する垣根の存在は、区別することによる効率性という論理の中で正当化されている。精神疾患者が企業に就職しようとするときに立ちはだかる「壁」は、会社の中からは見えないかもしれないが、外から見れば部外者を排除する堅牢な壁に見えてしまうのだ。

排除から仲間へ

 誰もが自分の安全を確保したいと思うから、異質なものを排除しようする心理は自然で、障がい者雇用に限らず、採用全般で私たちの多くが持つ心理作用である。広く世界を見ても、欧州各国では難民受け入れを反対しているし、米国のトランプ大統領も選挙戦でメキシコからの不法移民を排除するために国境に壁を作る、という主張でさえ、荒唐無稽なものではなく、米国民の不安を排除するのに役立ったようで、結果トランプ氏は今、ホワイトハウスに収まっている。間口を狭めることで、中の安全を確保しようという欲求はどこかにあるようだ。

 狭い間口から中に入れない人から見ると、自分が部外者であることを突きつけられ、疎外感が強くなる。就労に向かおうとする障がい者や精神疾患者は、その気持ちを乗り越えようともがいている。そんな心理状況を、面接で相対する企業側は理解してほしいと思う。社会の「疎外感」の中から、社会の一員として仲間入りしたいという熱望は切実である、と。

勿論、就労に向かう人の心に寄り添い、考え方の転換で対応できる可能性も考えていかなければならない。それは「自分をどう見るか」という点であろう。「自己肯定」という言葉で表現されている昨今であるが、「肯定などできない」などと言われることがあるから、私は「自分の見方」と表現し、肯定か否定かは、次の段階として話をすることも多い。

自分をどう考えるか

直木賞に決まった作家、佐藤正午さんは自身で「売れない作家を三十数年続けてきた」(朝日新聞インタビュー、2017年8月4日朝刊)という不安の中で原稿を書いていた時期のつらさを語っている。

「夜が明けきらないうちに起き出して、原稿を書き出す前のひととき、マンションの窓辺から佐世保の街を眺めることがありました。目の前にある教会のそばの空き地を、カバンを手にした会社員や学生が通り過ぎていきます。自分とは関係のないところで世の中が動いている。その世の中の数に、自分は数えられていない」

 この自分が数えられない存在、という疎外感は疾患により就労できない状態にある人から頻繁に聞くフレーズである。時には、社会に属していないとの感覚が肥大化し、自分が不要だと考えてしまう絶望的な風景となるという。

しかしながら、この「売れない作家」は「そう実感しても不思議と不安はなく、むしろ心が落ち着いたことを覚えています」と述べる。それは、自分の意欲と立場を知っていたからだという。

「自分に書く意欲があって、おまけに書かせてもらえる場所があるなら、つらいことは何もありません」。

 私たちが狭い間口に入れなくても、そう、希望はある。生きる意欲を確保するために、支援の仕事がある。意欲を失い、落ち込んでしまう人たちに私が出来ることをまだまだ学び実践したい。この後訪れる「別れ」が、揚々とした気分の中にある「出発」になるように。

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