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コラム

企業研修で「無理」は禁物
夢を絶望に変えてはいけない

自殺者の親が提訴

 ゼリア新薬工業の男性新入社員(当時22歳)が、研修中に精神疾患を発症し自殺し、労災認定を受け、遺族が8月に同社と研修を請け負った人材育成会社などに損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。各報道によると、2013年4月にMRとして入社した男性は、4月10日から2泊3日の人材育成会社の研修を受け、その中で男性に「強い心理的負荷があった」として東京中央労基署は2015年5月に労災と認定した。

 その後、遺族は2016年12月、東京簡裁にゼリア社と人材育成会社らを相手取り民事調停を申し立てたが、今年7月25日に不成立で終了したという。

 これから始まる社会人としての第一歩で、絶望の淵に立つことになったのであろうこの男性と、遺族の無念を感じ入ると、やりきれない思いがする。以前は経営コンサルタント社で研修を実施していた経験から、そして現在、精神疾患者の相談を受けている立場から見ると、それは起こるべくして起こった問題なのだと思う。

 それに警鐘を鳴らせなかったのも、個人的にはやりきれない思いを増幅させている。

起こるべくして

 精神疾患者の発症時期やきっかけの話の中で、大学入学や入社など環境の変化に伴う、精神的負荷があるケースは少なくない。当事者は「頑張りすぎてパンクした」という表現を口にし、メディアなどでも流布されているが、これにはもう1つの側面では「頑張りさせすぎて、パンクさせてしまった」周辺環境の問題がある。特に会社は賃金という生活保障を盾に、その圧迫を知らないうちにやっていることに気付かないケースは多い。

今年春に接客が重要な事業を持つ某企業の新人研修を行った際に、注意したのはその点だ。人生の大事な岐路に、心が敏感になっている若者をどのような言葉と行動で社会人としての最初のスタートを切らせるか。大企業向けに某コンサルタント会社のコンサルタントとして研修をしていた数年前は、会社の看板の中で振舞えたのに比べ、今回は私個人への依頼であるから、責任はすべて私、となる。それは「仕組み」ではなく、やはり「思い」の強さに裏打ちされた内容は勿論、「思いやり」という優しさがあって成り立つ「教える」と「教えられる」の関係を構築することが研修の成果を左右すると考えたのである。

研修会社は、ここをある種の「強制力」で乗り越えようとする。研修を請け負う際の仕様書で、研修内容へのお墨付きをもらい、その会社が持つ権力と同等な力が誇示できるようにするのも一つの術である。講師のレベルが低くても、会社の盾があれば何とかなる、と考えている粗悪な研修会社があることも事実だ。

企業の論理

 自分の過去を振り返ってみて、企業側と折衝する際に、必ず仮説を設定し、アプローチ方法を提示し、その予見できる結果を示すことが必須。その予見が外れた場合は、受注額に対して返金することも行い、結果に対しては厳しい姿勢を示す会社もある。

生産し利益を生み出すことが使命もある企業は、ここでも予見できる結果が何よりも重視する。そのお互いの思惑の一致するところで、「結果を出すこと」が求められる構造を作り出す。そこで働く人の感情は「置かれた」状態になってしまい、おのずと研修は無理ある状態になることがある。

 私自身、大手金融機関の研修を請け負った際に全国50店舗をモデルとして実績を上げる取り組みを、成功させたが、ここに「成功」と言ったのは、預金や契約等の実数と実施額などの総額や伸び率が達成したことが、クリアしたという事実によるもので、この事実に向けてモデルとなった店舗には、少々無理なテコ入れしたのは言うまでもない。

 これは実績を上げることに役立ったし、自信がなかった人が「やり方」を覚えて、働き甲斐につながったという報告があるものの、そこでついていけない人がどんな思いでいたのか、今になってとても気になってしまう。

無理ある教え

 実績という数字を動かすために、人の心を動かさなければならないが、その人を動かすのに、構造化してしまうと必ず、精神的に耐えられなく人がいることを組織が自覚する必要がある。人を教えることは真剣で、心の変容を促す役目を担うのならば、なおさらに行動への深い考察が前提となるだろう。

 どうしても、経営学やリーダーシップ論となると、ピーター・ドラッガーを中心とした実学的な学びを受けて、それら経営学を援用して展開する講義も多い。私はドラッガーを否定するわけではないが、ドラッガー論を教条化し、この欧米流の人を動かすマネジメントを、日本社会における新人研修に押し込めようとすると無理も多くなる。

 私たちが日本社会で培ってきた組織運営の文化を考えて、人を活かすことから考え直そうとする時、やはりあるべきなのは、人の心は脆いことも認識した上で、その人を想う心の熱量なのではないだろうか。

研修は人の命を削る場所ではない。生きるための叡智を養う場所であってほしい。新人の夢を絶望に変えてはならない。

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