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コラム

精神病院をなくした街、イタリア・トリエステを訪ねる(上)
バザーニアの軌跡とサン・ジョバンニ公園の空気

精神病院廃絶の聖地

 イタリア・トリエステと聞けば、精神医療の地域移行を重視する関係者にとっては、聖地のような存在だ。キャッチコピー風に言えば、「精神病院を無くした国、イタリアのその発祥の地であり震源地」となる。

1971年にトリエステ県立精神病院であるサン・ジョバンニ病院に赴任した精神科医フランコ・バザーリアが行った病院改革を起点に、それが全国にそして国会に及び、結果的に1978年に精神科病院廃絶法(180号法)の制定に至った改革の流れは、今も世界の精神医療や精神疾患のケアの世界に少しずつ広がっている。改革が遂行できたのは、哲学者でもあったバザーリアの存在のほか、トリエステ県代表であるミケーレ・ザネッティの存在があり、その動きを発信したメディアの力もあった。このイタリア東端の町を歩きながら、「自由こそ治療だ!」を合言葉にした改革の息吹を感じながら精神的ケアに必要な文化的素地について考えてみた。

港湾臨む要衝地

イタリア東部のアドリア海に面した港湾都市、トリエステは、フリウリ=ベネチア・ジュリア州の州都でありトリエステ自治県の県都でもある。スロベニアとの国境に近くトリエステ駅前からはスロベニアやクロアチア行のバスが発着している。世界的観光都市ベネチアからは鉄道で2時間。私はベネチアからアドリア海沿いを走る急行列車に揺られ訪れた。

この港湾に臨む立地により、第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の統治下にあり、海への出入り口として、重要な要衝都市として繁栄した。第一次世界大戦後にイタリア王国領となるものの、第二次世界大戦後はイタリアとユーゴスラビアとの間で帰属紛争となり、国際連合管理下の「トリエステ自由地域」となった時期もある。

港湾を中心に小高いカルスト台地が迫っており、台地の斜面にトリエステ大学があり、震源地であるかつてのサン・ジョバンニ精神病院も台地中腹の24万平方メートルという広大な敷地に建てられた。

挫折から再挑戦

 この病院は「精神病者のための市立精神病院・救護院」として1908年に完成した。この時期、イタリアの精神保健法は、精神障がい者は社会における危険な存在とみなし、医師と警察、裁判所の命令により強制入院を可能とするなど、社会秩序を目的とした治安モデルが根本思想であった。そのため、多くの病院が、患者を終わりのない監禁状態に置き、市民権を奪い、服従を強いる場所であったが、サン・ジョバンニ病院は当時、約40の建物がアール・ヌーボー様式で「世界で最も美しい」と称えられ、患者への配慮も当時としては先進的な考えで行われていた。

 この素地の上にバザーリアの改革が始まったのは1971年。その前段の10年は、バザーリアにとって挫折した改革がある。

1960年代に民主的な社会志向や労働者運動の活発化を背景に、精神科病院への自由入院が導入されるが、病院の中の実態が変わらない中、バザーリアは1961年にゴリツィアの精神病院の院長に就任した。そこは「繰り返し暴力行為を強いられ、受け入れられない横暴が野放し」にされていた状態で、患者は「私が死ねたらよかったのに!」と祈り続ける日々であったとラジオ番組で語っている。

若きバザーリアは患者をベッドや椅子に縛り付けるための拘束衣を廃止し、医師も権力のヒエラルキーを決定づけている白衣を脱ぐことを決定した。現場からは反発、県行政とも対立した上、入院患者が妻を殺害する事件が起き、バザーリア自身も裁判にかけられ、道半ばゴリツィアを去ることになったのである。

 トリエステのサン・ジョバンニ病院にバザーリアが院長として就任したのは1971年8月。改革を遂行したい30歳の県代表だったザネッティからの招きにより、バザーリアは再び改革に着手したのである。

入院患者は行動が制限されたところから、病院内をほぼ自由に移動できるようにし、男女別に分けられた環境から広間と中庭は男女共に開放した。さらにバルコニーの鉄作を撤去するなどの改修工事を行った。このような改革は病院職員からの反発も起きるが、バザリアはそんな反乱する職員も寛容に接し、結局改革は進み、隔離された病院は、やがて市街地とつながるようになるのである。

青年の歩行と街路樹

この舞台となった病院は現在、サン・ジョバンニ公園として、同じ敷地に整然とトリエステ大学のキャンパスや地域の精神保健センター、世界保健機関(WHO)との連携施設などが立ち並ぶ、敷地内のバラ園は2009年に開設され、6000株のバラが出迎える。

完成当時、病院の大部分を2・5キロメートル以上もの壁で外部と隔絶され、「不潔者」「麻痺患者」用の建物や精神疾患の未成年者用の建物のほか、ブオン・パストーレ教会があり周辺には工房や菜園、養豚場も作られたという。現在も取り囲む壁は当時の面影を残すが、敷地内には廃墟となったいくつかの建物に、かつての姿をかろうじて想像するのみで、十字架付の尖塔がある建物など教会や馬小屋だったような建物は半分朽ち落ちている状態だ。その一方で稼働している建物はやさしい色合いで清潔な印象。敷地内の整備された道路には福祉サービスの名前を記した車両が障害のある福祉サービス受給者を乗せている。

街路樹が並ぶ歩道には足元がおぼつかない障害のある青年がゆっくりと歩き、傍らでは母親らしき人が静かに見守り、青年は歩いていく。それはこのカルスト台地の精神医療を改革した歴史的な土地にはふさわしい光景のようで、彼らは何かに包まれているような錯覚をしてしまう。何か心の温まる思い、これは改革をなし得た土地の持つ文化なのかもしれない。

(中)につづく

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コラムニスト

    報告 ID:ZdqnsOpx8h

    イタリアに関しては、切り口よく非常に万能的に、善悪分裂して、とっつきやすく理想の世界のように書かれていますが、そんなにすべてがうまくいく世界はありません。実際はホームレスが増えていたり、退院して1日ですぐ入院という方式を取り、短期入院のように見せていたりすることもあります。病院がないことで困っている人たちも多くいます。万能的な世界の裏には見過ごされている現実や人々がいます。もちろんそれに近づいていくことが理想ですが、日本も表面だけを模倣し地域が整わないまま退院させられ困っている人がいるのも事実です。万能的、躁的な考えになり地域にだすことしか考えられなくなり、裏の面や見たくない面から目を背けるようにはなってほしくないなと思います。思考が停止し、現実が見えなくなり少しその傾向が強まっていることを危惧しています。より現実的で広い視野で見つつ、地域で過ごせる環境をゆっくり作っていけるといいのではないかと個人的に感じています。

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