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コラム

「偏見社会」が作り出した寝屋川事件
カタレプシーに深い思いを寄せてみる

「心」が傷ついて

 大阪府寝屋川市の住宅で33歳の女性が両親によって監禁され衰弱死した事件は、両親が監禁と保護責任者遺棄致死の罪で大阪地検から起訴された。前回のコラムで「精神疾患」と伝えられた女性の病状や実態が伝えられないメディアの不備を指摘したが、ここにきて朝日新聞が捜査関係者への取材として、「14歳のころに不自然な姿勢のまま何時間も動かない状態が目立つようになったが病院には連れて行かれなかった。17歳を迎える2001年になり複数の病院にかかり、統合失調症の『カタレプシー(強硬症)』と診断を受けたという」と伝えた。

これまで「精神疾患」を表記の中心にし、時折統合失調症を伝えていたメディアだが、検察が起訴にこぎつけたことで、ディテールが表出する流れのようである。(しかしながら、起訴の報道とともに紙面でディテールを報じたのは大手紙の中では朝日と東京のみだった=東京発行紙面)

私は「カタレプシー」を聞いた途端に、切なさがこみ上げてきた。亡くなった彼女には「心」があって、その「心」が傷ついたとの想像、そして一人の人間のストーリーが浮かび上がってくる。統合失調症という病気を患ったと同時に、彼女は何らかの心理的なストレスがあったのだろう。どのような仕打ちがあったのかは分からないが、明らかに周囲からのケアは必要だった。

彼女の心を想像するとやはり、痛ましく、切ない。

反応しない体

 硬くなった体に他者からの呼びかけに反応がない―。

カタレプシーの状態は、社会と遮断した格好となるから、周辺の人はどのように対応すればよいかわからない。医師でもない、精神疾患者を支援する立場である私も、その具体的な対応を講釈する自信はない。朝日新聞の報道によると、診断した医師の1人は「入院を勧めたが、それ以降は病院に来なかった」と大阪府警に話したという。

 それが結果的に継続した診断や入院の機会を逃すことになるわけだが、17歳の娘の親がわが子の行動に権限を持つ状態は特異ではなく、この段階で医師を責めるのも酷であろう。しかし、積極的な治療への働きかけはできなかったのかと、事後の勝手な思いだけが消化できずにいる。

 精神医学事典によると、カタレプシー(catalepsy)は、強硬症ともいわれ、外部から一定の姿勢をとらされると、それを自ら変えようとせず、長時間そのままの姿でいることをいう。患者が自発的行動が出来なくなる昏迷あるいは亜昏迷状態に起き、同じ格好のままでも疲れを感じないという。

 それは疾患への理解がなければ「異常」な状態にうつるだけである。わが子の変化、医師からの診断、その後の両親の行動を考えると、私はそこに社会や世間という大きな影を見るのである。

統合失調症以前の社会で

亡くなった長女がこの診断を受けたのは2001年。統合失調症は2002年までは「精神分裂病」(この病名は実態とかけ離れていた名称として患者の家族会の呼びかけにより変更された)と呼ばれていたから、実際に受けた診断は「精神分裂病」であり、この病名がイメージさせる偏見が一般的な認識だった時代である。

「精神分裂病」が知られれば、世間からの偏見は免れられない、そんな思いもよぎったのかもしれない。さらに難しい病気に関する情報を知る手立てが当時は医師を通してでしかなかったのではないだろうから、入院や診療の判断は医師の言葉が唯一の道しるべであったはずだ。それを両親は拒否した。

ましてやカタレプシーは、現在でも一般の人が読むような統合失調症関連の書籍の中に表記を見ることは少ないから、両親自身が解決の糸口を見つけ出すのは難しい。

統合失調症の発症、診断の前後、亡くなった長女に、そして家族に何があったのだろう。偏見への恐れや思い通りにならない娘に、両親は積極的にかかわるのを止めたわけだが、家族はどのような経緯で長女を治すこと、長女の人間としての尊厳を守ることを放棄したのだろうか。

「救えた」という問いかけ

各紙の報道では、長女が小学校5年生の時に書いた作文が紹介されていて、創作ダンスを一生懸命になって練習する中で、「お母さん来てないかなあ、見てほしいなあと思って、ダンスをしながら目で探していた」と書いた、という。

母親に見てもらいたい、という感情に無垢な母親への愛着が感じられる文面に、発症するまでは普通な親子関係が成立していたことがうかがえる。小学6年生の時から体調不良を理由に学校に来なくなったというから、この時期に長女は発症したようだが、何らかの外的要因が引き金となって不調な状態になったのか、それはまだ公表されていない。

私は、両親の罪状と量刑に関しては裁判所の手続きに則って然るべき判決が出されればよいと考えている一方で、なぜ彼女を救えなかったのか、という問いかけから離れられずにいる。

両親の罪は裁かれるだろうが、責任はやはりそれだけではない。病気で学校に行けない状態にあった子供をケアしなかった学校や自治体も、「精神分裂病」という表記を使い続けて偏見を助長してきたマスメディアにも責任はある。

監禁されながらも彼女は小さな部屋で生き続けてきた。それは、わずかな希望だった。それを誰も気付かずに時は流れ、絶望と死が訪れた。

同じ時代に生きた人として、メディアに携わり、精神疾患者に向き合う立場として、その死を重く受け止めたい。

(了)

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