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コラム

寝屋川・三田の監禁現場の風景
「閉じ込める」思想は私たちの中に

田園風景を見下ろして

田園風景を見下ろす丘陵地の団地はそれぞれの家が適度な距離を保ちながら、穏やかな生活をしているように見えた。目の前の家屋も明るい色の壁面といくつかの植木鉢に安らかな生活感が漂っているようにも感じる。兵庫県三田市の精神疾患・知的障がいと思われる長男(42)が父親(73)=監禁容疑で逮捕=により、離れの小屋の檻に約25年前から監禁されていた家である。

現在は中に人がいるのか、いないのか、カーテンを閉め切って、周囲の雑音を遮断する雰囲気が漂う。父親は逮捕されたが、三田市が長男の監禁状態を確認した後も4日間、解放しておらず、警察への通報も約1か月後だったことが批判されている。

 その監禁場所である離れは田園風景を見渡せる斜面側に位置し窓も設置されているが、その窓は締め切ったままだったのだろうか。報道によると、現在、保護されている男性は「目がほとんど見えず、腰も曲がって伸びない状態」(神戸新聞)という。

家族優先が行動を鈍く

 発覚したのは今年1月。父親が妻の介護について三田市に相談した際に長男を檻に入れていると説明したことから、同市が家庭訪問し、高さ約1メートル、幅約1・8メートル、奥行き約0・9メートルの木製の檻の中にいる長男を確認した。「体育座り」の姿勢で、床にペット用のトイレシートが敷かれていた状態だったという。

 三田市は会見で、県警への通報が監禁確認の1カ月後だったことについて「体や命に危機は迫っていないと判断したが、別の方法があった」と話したというが、その状態は人権の危機だという認識はなかったのだろうか。自由を奪われた状態だった上に光からも遮断されてしまっていたならば、なぜいち早く解放しなかったのか、やはり疑問だ。

 ただ、私が現場に立って感じたのはその家があまりにも「普通」であったことだ。普通の暮らしに惑わされ、そして長年の障がい者に関する法制度の呪縛である「当事者自身ではなく家族の意思が優先」される風潮が、職員の保護行動を鈍くしたという想像もできる。

雑然の中の樹木

大阪府寝屋川市のバイパスは春の夕暮れ、たそがれ時にもおかまいなしにダンプやトラック等、大型車両がひっきりなしに行き交い、傍らの歩行者が吹き飛ばされそうな勢いだ。道路沿いにはパチンコ店、大型量販店、そして不思議と病院が立ち並ぶ。雑然の中に高齢者デイサービスなどの福祉サービス事業所が点在する。

この雑然と住宅街の境目のような場所に、女性が長年、両親により監禁された家屋があった。この家屋は周囲から交流を閉ざす強固な意志を示すように、家の敷地内が外から見られないほど、約2メートルの塀で囲まれていた。

敷地内にあるエノキの樹木が道路にその枝葉を伸ばしている。風が吹くとざわめく、その鋸縁葉の周囲はとげとげしいが、感触はなめらかだ。この枝葉が伸びる敷地内の離れ小屋の中に監禁場所があるようだ。

長年あったであろうこの木々のざわめきを女性はどんな思いで聞いていたのだろうか。

起訴状によると、監禁と保護責任者遺棄致死罪で起訴された父親と母親は平成19年3月12日ごろから昨年12月18日ごろの間、内側から解錠できない二重扉や監視カメラを設置した隔離部屋で統合失調症だった長女を監禁。昨年1月からは急激にやせて衰弱していたのに、満足な食事や治療を受けさせずに全裸で放置し、昨年12月に凍死させたとした。監禁の期間は逮捕容疑では約15年とされたが、起訴段階で範囲を限定した。

社会の罪

寝屋川の監禁事件の場合は、監禁の上に死亡したことにより問題はより深刻だ。雑然の中で人の気配が分からないような、そして周囲から隔絶されたような印象のある現場は、近寄りがたい雰囲気さえある。

週刊誌「女性セブン」が紹介した精神疾患者の家族会のコメントは、私も疾患者の家族の悩み相談の中で聞く話であるが、社会には出にくい類のものである。

「私自身、精神疾患を患う長男を持つ身として、家に閉じ込めようと思ったことがないか、と言われれば、ある。全国の精神疾患患者の家族は、誰もが一度は同じ思いに駆られているはず。それほどまでに、患者の言動に家族は苦しんでいるのです」。

この家族は暴れたり騒いだりして近所に迷惑をかけることを嫌い、「閉じ込めたほうがよい」と考えたこともあったという。この発想が欧米から異常と思われている精神科病院の平均入院日数の長さにつながり、病院の収容化という「どこかに収める」もしくは「閉じ込める」という感覚につながっていくのだろう。

そう考えると、これは社会の罪である。疾患者を特異な存在として「押さえつけよう」とする思想になっていないだろうか。両親が監禁を「療養目的」と話していたことは、その感覚の麻痺というべきだが、それはすでに私たちの近くで始まっているような気がする。

この数か月で寝屋川と三田で発覚した事件だが、全国にはまだ見ぬ監禁者がいるかもしれない、いやいるはずだ。そんな思いで福祉関係者は行動しなければならないと思う。

(了)

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