精神科ポータルサイト サイキュレ - Psychiatry Curation

精神科医療関係者様の会員登録をお待ちしております。  新規会員登録  ログイン

コラム

隔絶された被災地にグループホームを
障がい者の母たちの行動と仲間づくり

障がい者の母たち

第二次世界大戦後、日本の経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したのは戦後11年後の1956年だった。2011年に未曾有の被害をもたらした東日本大震災からはまだ8年後。東京電力福島原子力発電所事故の処理が決定しないまま、課題への解決の道筋が見えないから、まだまだ震災後のままである。その心のあり様は、政治家の震災に関する無配慮な発言に政治家自身も市民も敏感に反応するところにも出ている。

まだまだ解決していない。だから、私たちは考えなければいけない、と思う。

私自身、震災直後から関わってきた被災地の中で、今も継続して関わり、被災者の思いを形にしたいと考え続けているのが、宮城県気仙沼市本吉地区の障がい者の母たちのコミュニティグループ「本吉絆つながりたい」である。震災直後は1人の市民としてかかわってきた被災地とのつながりは、最近は福祉事業を実践し、福祉領域を研究のテーマになっている私にとって、それは確実に新しい目線での新しい発見があることに驚いている。今まで見落としてきた地域福祉の課題が、福祉を知れば浮かび上がってくるのだ。

この「本吉絆つながりたい」との震災後からのコミュニケーションは、だんだんと深いところでシンクロしてくるような感覚であり、それは福祉の課題や地域課題を照射するメッセージとなって私の中に響いてくる。

養護学校がない

気仙沼市本吉地区は気仙沼市南部の沿岸部から内陸にかけての地域で、平成の大合併の一環で2009年に気仙沼市に編入されるまでは、本吉町として機能しており、現在も住民は「気仙沼市」にしっくりきていない様子だ。

東日本大震災発生後、沿岸部で支援の行き届かない場所への民間支援を行うことを考え行動していた私に、阪神大震災の経験から現場支援にあたっていた神戸市職員が「個人的なつぶやきだと思って聞いてほしい」との前提で、「旧本吉町の支援がうまく行き届いていないから、行ってみて」と勧められた。私は本吉町内の避難所や半壊した民家をまわり必要な支援物資を聞き、布団などを届けることから地域とのつながりが始まった。

本吉絆つながりたいは、震災によって発生したグループで、震災によって生じた障がい者の親たちの悩みを集まって話しながら問題を解決するのが目的だった。その問題は、障がい者らが地域コミュニティとは断絶された存在だったことに起因する。この地区には特別支援学校(旧養護学校)はない。地区の障がい者が通うのはバスで1時間かけての旧気仙沼市内にある特別支援学校などだった。

「特別支援教育を受けるため」という自治体からの案内により通った彼・彼女らだが、これにより地域とのつながりがなくなってしまったという。

その地域コミュニティと隔絶されたことを痛感することになったのが、東日本大震災だった。

知らない避難所

彼・彼女らは地元の学校に行かなかったことで、なじみの友達もいないし、地域住民も朝と夕方にバスに乗り降りするだけの生徒の存在すら気づかず、「特別支援学校」への偏見もあり、地域での居場所が確保できなかったという。その結果として、震災が発生して地域の小学校が避難所になっても、自閉症傾向が強い障がい者の場合は、そこは「知らない学校」であり、その知らない場所には入っていけず、結局自家用車や半壊した家の中で、余震におびえながら生活し続けることになったのである。

また避難所に入っていけたとしても、外部環境の変化に対応が苦手な障がいのある方には、周囲から「落ち着きのない行動」とみられる言動を繰り返し、結果的に避難所にはいられない状態となった。

だから、「つながりたい」なのである。疎外されたからこそ共有できる思いでつながったグループの母たちの願いは当初から今も変わらず、親と子が一緒に住めるグループホームの建設だ。当事者の障がいは重度であり、現在も生活介護を利用しているが、親の高齢化もあり、ますます地域で支えあう必要を感じている。

つながらなかった障がい者と地域が母親の問題意識を媒介につながり、それが世代でも受け継がれていく―。本吉つながりたい、を結成したことで、その理念は関係者間で共有できたが、実際の福祉サービスに結び付けるかは、地域課題が横たわる。福祉サービスを担える人材不足である。地域福祉サービスを提供する際に必要最低限の要件を満たす人が確保したとしても、福祉への深い理解のもとで仕事をし、そのコミュニティに新しい考えを取り入れつつ、地域で信頼される施設を作れるかは、人口の少ない地域では特に深刻な課題だ。

だから、「本吉絆つながりたい」の林亮子会長は「人材がほしい」と言い続けている。

つながる地域に向けて

福祉施設がない場所には福祉の人材は育たないし、特別支援学校が存在しない地域では教員OBも少なく、首都圏で巨大勢力になりつつある「活躍したいシニア世代」もいない。ならば、外から障害者とともに人材を呼び込もうと、現在熱い議論を展開している最中である。

グループホーム建設に向けて、現在は一歩ずつメンバー一人ひとりがやれることを積み重ねている段階ではあるが、障がい者とともに生きるお母さんは一般家庭よりも家事や気配りなどやるべきことは多い。その中で未来に向けのエネルギーをねん出するのには、激励と支援が必要だ。地域の中心部にはいくつか安価で購入できる土地もあり、土地購入は可能であっても、公的な補助も組み合わせて、公的な福祉サービスによるグループホームの建設には人材面でも費用面でもまだまだ仲間が必要。このグループ内の利用者やサービス管理責任者になれる母親の幾人かの存在により、私が考える限り、福祉事業としては成立する。問題は立ち上げ時に必要な土地の購入資金等の初期投資だ。

先日、東京都内の震災復興を願うイベントで、私がこの話をしたら東京都内のある方から寄付金が届いた。この思いに感謝しつつ、やはりまだまだ震災後なのだと思う。

この記事も、現実を伝えるというジャーナリスティックな思いとともに、へき地の障がい者の母親の思いを形にするための仲間を増やしたいという願いがあるから、是非、本吉絆つながりたい、に目を向けてほしい、と思う。そしてこのグループホーム建設に向けた前進の模様を本コラムで連載していきたいと思う。

  • 460人見ました
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページの先頭へ

コラムニスト

    ページの先頭へ

    facebookコメント

    ページの先頭へ

    関連コラム

    ページの先頭へ


    Top